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福岡家庭裁判所吉井支部 昭和50年(家)21号 審判 1975年10月16日

申立人 川上ミサヨ(仮名)

事件本人 川上利一(仮名)

主文

○○町長は、申立人が昭和五〇年二月二〇日届出た事件本人川上利一の死亡届を受理しなければならない。

理由

一  本件申立の要旨は、「申立人は、昭和五〇年二月二〇日○○町長に対し、事件本人川上利一が同一九年三月三〇日に死亡した旨の死亡届を川上家の菩提寺である○○町大字××一四番地の二△△寺住職松野澄明作成の事件本人の位牌及び過去帳の写であることを証明する証明書と題する書面を添付してなしたが、同町長から同五〇年二月二八日右添付書面のみでは戸籍法八六条三項にいう死亡の事実を証する書面としては不足するとの理由で右死亡届を受理できない旨の通知を受けた。しかしながら右証明書は同条にいう死亡の事実を証する書面として何ら不足するところはないのであり、同町長の右不受理処分は不当であるから同法一一八条に基づき右処分に対し不服の申立をする。」というにある。

二  申立人本人審問の結果、川上清一、事件本人の各戸籍謄本、前記死亡届書写、松野澄明作成の証明書、○○町長作成の死亡届書の還付についてと題する書面によれば、事件本人の位牌および同人に関する寺院過去帳には同人が昭和一九年三月三〇日死亡した旨の記載があること、申立人は右各記載に基づき本件申立をなしたところ、前記理由で右申立が受理されなかつたこと、△△法務局××支局長作成の不受理回答書によれば、右不受理の実質的理由は、申立人を当局で調査し事件本人に関する供述を得たが、事件本人の死亡事実を認定するに足る証言を得ることができなかつたということにあることが認められる。

三  ところで、当該人が死亡した場合は戸籍法第八六条第一項の定めるところにより診断書又は検案書を添付して届出義務者より死亡届をしなければならないところ、それは通常の場合のことであつて、同法第三項では、それらの書面を得ることができないときは死亡の事実を証すべき書面を以つてこれに代えることが出来るとされ、又戸籍先例によれば「診断書若しくは検案書又は検視調書の謄本を添付しない死亡届書の提出があつたときは同死亡の事実を確認し得るときは受理する。」との民事局長の通達(大正一四年一月七日民事第一二六四五号各地方裁判所長宛民事局長通牒、戸籍先例全集三巻二一四七項九二九頁)がなされている。

四  そこで、これを本件につき考察するに、福岡家庭裁判所調査官戸田稔作成の昭和五〇年八月五日付調査報告書中、申立人、横山良子及び前記△△寺住職の同調査官に対する各供述調書によると昭和一九年四月一一日、申立人やその弟剛(すでに死亡)など数人で川上家の墓地(通称○○山の△△△が峯)に事件本人の遺骨を埋葬したこと、その一週間位前に○○県××の炭抗で死亡した事件本人の遺骨を申立人の夫清一(事件本人の兄で昭和二五年一二月三〇日死亡)と事件本人の妹横山良子の夫文吉(昭和二四年五月四日死亡)とが引取りに行き、清一の要請により清一宅で前記住職によつて読経が行なわれ、近親者による簡単な告別式が行なわれたこと、その際右住職によつて位牌及び寺院過去帳に事件本人の戒名、俗名、死亡年月日等が書き込まれたこと、しかし、右死亡年月日が何に基づいて書かれたかは現在では明らかではないこと、その後昭和四〇年に前記△△寺に納骨堂が完成したので事件本人の遺骨を他の川上家の遺骨とともに右納骨堂に納骨したことが認められる。

以上の各事実によれば、申立人が事件本人の死亡届書を提出した時点では必ずしも明らかでなかつた事件本人の死亡時の情況はほぼ解明せられたというべく、これによれば、事件本人の遺骨が帰宅した直後に何故に事件本人の死亡届が本籍地役場になされなかつたかの疑問は依然として残るところであるが、事件本人がその当時死亡したことはまず間違いないところであろう。

五  ところで、戸籍法第一一八条が戸籍事件について市町村長の処分につき家庭裁判所に不服の申立をすることを認めている。このことは、個々の場合に、家庭裁判所の判断により実情に即して当該申立の当否を決する余地を残したものと解せられるところ、以上の説示によれば、本件死亡届書は受理されるのを相当と考える。

六  よつて、本件申立を理由あるものとして認容し、特別家事審判規則第一五条により主文のとおり審判する。

(家事審判官 最上侃二)

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